天下人豊臣秀吉に抗った戦国大名北条氏の本城小田原城。敗れはしたが、今日に至るまで堅固な要害として名高い。しかし、実際には何度も落城を経験し、秀吉の軍門にも降っている。そのような小田原城が何故「難攻不落」と称されるのか。発掘調査成果と文献史料・絵画史料などを分析し、北条氏の志向性から難攻不落と呼ばれた真相を明らかにする。
目次
- プロローグ なぜ小田原城は「難攻不落」と言われるのか?
- 北条氏以前の小田原古城―都市「小田原」への寄生
- そもそも小田原城とは
- 大森氏時代の「小田原」
- 伊勢宗瑞の登場
- 白亜の天守聳える小田原城―小田原新城の誕生
- 小田原合戦後の小田原城
- 現在の小田原城へ
- 戦国期小田原城に対する「小田原新城」
- 二代氏綱による小田原整備
- 北条氏綱という人物
- 文化都市、小田原
- 相模府中としての小田原
- 記された戦国期の小田原
- 戦国期小田原城の描写
- 後の記録にみる小田原
- 総構とは何か
- 発掘調査でよみがえる戦国期小田原城
- 御用米曲輪下層の遺構群
- 城郭遺構としての堀
- 堀の規模と特徴
- 北条氏の築城技術
- 戦国大名としての北条氏
- 戦国大名の志向性
- 本城と支城
- エピローグ―戦国都市小田原の景観をよむ